声明は法事や法会などで聞こえてくるお坊さんの声です。通常唱えられているお経や真言は、仏教の教えを書いた中国語やインド語の文章を朗読するときのもので、「般若心経」「観音経」「光明真言」などを朗読することです。一方声明は、仏典をメロディー化したもので、法要など仏教の儀式・儀礼に用いられる日本の伝統音楽です。音楽ですからメロディがあります。古くは奈良時代の東大寺大仏開眼供養での声明が有名ですが当観智院で唱えられている豊山声明も非常に音楽的な昔のままの音楽を伝えていることで注目されています。豊山声明は、鎌倉時代に考案された五音博士という音符を用いて、それに目安博士を添付した楽譜を使用しています。真言宗の教えによれば「色・声・香・味・触などの五感を歓ばせることは」悟りに通ずる=法悦となることと説かれています。音と色の感覚世界と精神界との一体性を重視しながら、年回の法事を初めとする各法会などでは必ず唱えられます。
「ご詠歌」には二つの形があります。三十一文字(五・七・五・七・七)の和歌で作られる「詠歌」と七五調の歌詞にメロディをつけた「和讃」。一般的にこの二つを総称して「ご詠歌」と呼んでいます。その内容は、仏さまを讃えるもの、仏さまの教えや寺院行事をやさしく説いたもの、あるいは亡き人の菩提を願うものなどがあります。 古代万葉花山法皇の頃、西国33ヶ所霊場を巡拝する際、お堂に奉納された和歌を詠み返すうちに、自然に生まれたのがご詠歌の旋律と言われ、霊場に流れるご詠歌の旋律にふれ「ご詠歌と出会い、始めてみたくなった」という人もいらっしゃいます。真言宗豊山派の詠歌講は、宗派名から「豊山流大師講」と称します。詠歌・和讃を唱え、弘法大師の高徳を社会に広めることを目的として、現在全国に300支部、7000名を越える講員で組織されています。
お施餓鬼
インドの阿難尊者(あなんそんじゃ)という方が、焔口(えんく)という餓鬼に、「お前は三日後に死んで、醜い餓鬼に生まれ変わるだろう」と告げられた為、釈尊に救いを求め、その教えを実行することによって阿難尊者が救われました。このことがお施餓鬼の起源とされています。 その教えとは、餓鬼道にいる全てのものに対し飯食(おんじき)を供養せよとのことでした。しかし、全てのものと一口に言いましても世界中の米を集めたとしても全てには行き渡るものではありません。 そこで、真言の秘法である「無量威徳自在光明殊勝妙力(むりょういとくじざいこうみょうしゅしょうみょうりき)」という名陀羅尼(だらに)を使い食物を加持(かじ)すればその飯食は全てに行き渡ることが出来ると説きました。 この施餓鬼の法は供養する者が誰であろうと功徳を成就出来るので阿難尊者が広くこれを行ったことがインドでの施餓鬼の始まりです。それが、いつの日か、ご先祖様が餓鬼道に行ってほしくないという思い、つまり慈悲心から施餓鬼会には先祖供養がおこなわれるようになりました。
観智院 大施餓鬼会施 7月23日
お盆
「お盆」はもともと「盂蘭盆(うらぼん)」といいインドで始まったことを起源とします お釈迦様の弟子である目蓮の母親が、餓鬼道におちて苦しむ姿を見て、救済の方法を尋ねたところ毎年七月十五日に、飲食を供養すれば、先祖代々の父母を救うことが出来ると教えられ、早速母の供養を行ったということからこの法が始まったそうです。この七月十五日というのは、インドで毎年行われていた修行結願(しゅぎょうけちがん)した次の日のことで、四月十六日から九十日間、雨季のため、仏教徒は外出せず内にこもって修行することを常としております。 後に三宝(仏法僧)に供養することとなり、ご先祖の御霊を供養するようになっていったそうです。 日本では幽冥の地をさまよう者は光を求めているという思想から、灯ろうをかかげたり迎え火をたいたりする慣習ができたそうです。
7月13日~16日 棚行
護摩とは、インドの古語「サンスクリット語」の「ホーマ」という言葉に語源を取ります。この言葉は「焚く」の意味で、インドでは文化発生以来数千年にわたり続けられてきた供養の方法です。その護摩の形式と仏様へ供養する作法(大願成就の心がけ)が融合されて真言密教の護摩儀式が成立されました。
谷中の火除け不動
当院の護摩供養は境内の不動堂で行います。不動堂にはお不動様を中心として「降三世・軍荼利・大威徳・金剛夜叉」の五大明王像が安置されており、毎年元旦を初護摩として三日間、及び毎月二十八日に護摩供養を勤修しており、火難消除 所願成就と共に月の締めくくりとして不動さまのお力(智火)により煩悩を障除せしめんが為ご供養しております。
毎月28日は護摩供養
彼岸会
「彼岸」とは悟りの岸に到るという意味で、この世の迷いの岸から彼(浄土)の岸へ到り自らの行いを反省し、生きる喜びを感じえる日と言えます。悟りを開く為に六つの波羅蜜(はらみつ)という修行をして、自分の功徳を得るが為修行し、それによって得た功徳により人々の救済の為につくすという修行を満足することを到彼岸と云います。 今日私たちがご本尊さまや、御仏壇の前で行っている事にもその徳がこめられています。
布施 |
お水やお茶を お供えする |
持戒(いましめを守る) | 塗香を用いる |
忍辱(耐え忍ぶ) | 花をそえる |
精進(揺るがぬ努力) | 香を焚き仏道に進む |
禅定(心の安定) | 飲食は心を落ち着ける |
智慧 (真理を明らかに見抜く洞察力) |
灯明は仏の光を表す |
春秋の過ごしやすい日に清らかで澄み切った心を持って、六つの波羅蜜を思い手を合わせることで、ご先祖様への良い供養がなされます。
お墓参り
ご先祖の遺骨が埋葬されている処であり、代々の御霊がおわす処です。墓碑に刻まれた戒名や俗名、そしてお墓そのものをご先祖様の御心の顕れとして心に留め置き、追慕の念をもって手を合わせます。「何世代も前のご先祖なんて会った事もない」と、言う方もいらっしゃるかもしれませんが、子々孫々受け継がれ続けて今、存在している事を思えば感謝を込めて掃除をし、お供えをして手をあわせる。なんとも大切で意味のある行い(追善供養)ではないでしょうか。又、お墓参り時にはお塔婆を立てることがおこなわれています。 お塔婆とは、「卒塔婆」の略で、サンスクリット語のストゥーパが語源であり、釈尊が入滅した後、その舎利(遺骨)を納めた塔(ストゥーパ)を建てて供養したのが始まりです。ご先祖の霊徳を向上させ倍増増進していただくように祈るために建てるもので、一基の塔婆は一霊の仏様をご供養することとなります。一基の塔婆の中に宇宙の真理(大日如来の意)の功徳が備わっているもので、今は亡きご先祖様の御霊に、追慕追善の供養の勤めとしてお塔婆を立てることは非常に尊い供養になる事でしょう。